本学先端科学高等研究院の藤野陽三先生が2019年、日本学士院賞を受賞されました。これを記念して、先生の研究がどのようにして生まれたのか、どのようにして普及したのか、(前編)「出発点:小さな歩道橋の不思議な振動の解析」と(後編)「そして現在へ:社会インフラ・都市防災の新しい展開」の二回に分け、一連の研究についてご紹介します。

(前編)出発点:小さな歩道橋の不思議な振動の解析

 元号が令和に変わった2019年6月17日、上野の日本学士院で、藤野陽三横浜国立大学先端科学高等研究院上席特別教授等9人に日本学士院賞が授与された(図1)。横浜国立大学(以下、横国大)の現役教員がこの賞を受賞するのは初めてのことである。先生にとってはもちろん、大学にとっても名誉なことである。

図1-1. 日本学士院賞の賞状
図1-2. 賞牌

 まず学士院賞の説明として、日本学士院のホームページを紹介しよう(1)。「本院における授賞制度は、明治43年に創設され、学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対して授賞を行っています。授賞式は明治44年より毎年挙行され、令和元年度で第109回を迎えました。昭和24年以降の授賞式には天皇陛下の行幸を、平成2年からは天皇皇后両陛下の行幸啓を仰いで挙行されています。

 過去の受賞者には、木村栄、高峰譲吉、野口英世、佐佐木信綱、金田一京助博士や、後にノーベル賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎、福井謙一、江崎玲於奈、小柴昌俊、野依良治、鈴木章、益川敏英、小林誠、山中伸弥、赤﨑勇、大村智、梶田隆章、大隅良典、本庶佑博士がいます。(以下略)」

 これ以上の説明は不要だろう。横国大の卒業生では藤嶋昭(1966年工学部卒)、相田卓三(1979年工学部卒)両氏が受賞されている。

 ここから、一連の研究の出発点となった『同期歩行』を中心に藤野の業績を振り返ってみよう。

 1988年のある日、藤野が東京大学工学部の助教授だったときのことである。旧知のエンジニアから電話を受けた。

 「先生、歩道橋が歩行者で混雑すると左右に揺れるんです。相談に乗っていただけませんか」

 その声は焦燥に満ちていた。当時は、瀬戸大橋や明石海峡大橋など長大橋がもてはやされたバブルの時代である。よほどの変人でもない限り小さな歩道橋に目を向ける人はいなかった。

 しかし、藤野の感受性が「橋が左右に揺れる」という言葉に感応した。人が歩くと橋が揺れることは知られている。隊列が歩調をそろえて行進したときなどである。しかし、それは上下の振動である。歩行による左右の振動は聞いたことがなかった。

 これは未知の現象かもしれない。興味がわいた。

 「上下の振動じゃないんだな」

 「百聞は一見に如かず。ぜひ一度ご覧になってください」

 こうして、藤野は歩道橋の振動抑制に関わることになった。

 向かったのは埼玉県の競艇場。橋の名は戸田公園大橋という。「大橋」といっても全長180メートル、幅5メートル強の歩道橋である。真新しく塗装された黄色い路面が人目を引く(図2)。歩道橋は競艇場の入り口にかかり、競走水面を跨いで観覧席とバスターミナルを結んでいた。

図2. 戸田公園大橋(2019年4月,中川撮影)

 藤野が着いた時はレースの真っ最中だった。観覧席を埋め尽くす観客は二万人。歓喜と落胆の入り混じったどよめきがエンジン音をかき消して轟く。 ダナン大学の交流の記念碑的存在であることを知っている人は少ない。

 藤野は、足に感覚を集中した。混雑が始まってしばらくたつと橋が揺れ始めた。初めは小さな振動だった。たしかに左右だ。振動はだんだんと大きくなって行く。あちらこちらで「揺れているぞ」と声が上がる。振幅は数センチぐらいだろうか、歩くにくい。手すりを握ってこわごわ歩いている人もいる。振動は十分程度続き、やがて終息した。

 藤野は土木工学の研究者である。専門は橋梁工学、橋の研究である。主に風洞実験を行ってきた。風洞実験は、橋の模型に人工の風を当てて観察・計測する方法である。小型の模型を使うので、長大橋の動きを俯瞰するのに都合が良い。しかし、藤野の立っている歩道橋は風で揺れたのではない。人で揺れたのである。

 藤野は、同行のエンジニアに尋ねた。

 「どこか、橋全体を見下ろせるところはないだろうか」

 エンジニアは、観覧席の上部を指さした。

 「貴賓室があります。あそこなら全体が見えます」

 貴賓室からは競艇場が一望できた。視野の右手に歩道橋が見える。夕暮れの日差しが、水の上に長い橋の影を落としていた。

 次のレース開催日、藤野は貴賓室から橋を観察した(図3)。混雑が激しくなると橋が揺れた。橋が揺れる時、群衆は、まるで一つの塊のように、一斉に揺れていた。

図3. 混雑する戸田公園大橋(1989年, 藤野撮影)

 ―なるほど、『ものごとを俯瞰する』とはこういうことだったのか。藤野は妙なところに感心した。

 自然界には『同期(sync)』という現象がある。蛍の群れが一斉に明滅を繰り返すときや心臓のペースメーカー細胞が脈動するときなど、指令されることなく自発的に振動している(2)。橋を渡る人も号令に合わせて歩いているのではない。好きなように歩いていたら自然に同期するのである。いったいなぜなのだろうか。

 藤野が次に競艇場を訪れたとき、ビデオカメラと加速度計を携えていた。貴賓室に上がった藤野はビデオカメラを橋に焦点を合わせて設置した。

 カメラは人の動きを克明にとらえ、加速度計は橋の動きを正確に記録した。次に行うのはビデオの解析である。今でいう画像解析なのだが、これが当時どれだけ大変だったか想像できるだろうか。藤野は、映っている歩行者の中から、服装や容姿に特徴ある人を何人か選び出し、ビデオを0.2秒進めるたびに一人一人の位置を記録していった。これを人が橋を渡っている十数分に渡って続けたのである。

 人は、そもそもまっすぐ前に歩いていなかった。左足を出すとき体は左に寄り、右足を出すとき体も少し右に動いていた。足の向き、歩幅、速度は不揃いである。しかし、混雑するにつれて左右の揺れが揃い、橋の振動も大きくなる。混雑がやむと歩調は元に戻り、振動は終息する。

 同期はなぜ起こったのか。歩行者の中でたまたま同時に同じ方向に足を出す人が多いと、その方向に少し力が加わる。橋が少し動いて歩きにくくなる。歩きにくくなった人はバランスを取ろうとして次の一歩を反対側に踏み出す。橋に働く力はもっと大きくなり同じ方向に足を踏み出す人が増加する。このようにして群衆の動きが揃ってゆき、ついには群衆全体が一つの塊となって振動する。これが、受賞理由の最初に挙げられた『同期歩行の解明』である。

 藤野の解析と提案により、振動を抑制するダンパーが設置された。そして工事終了後最初のレース開催日、貴賓室で関係者が固唾を飲んで見守る中、群衆が橋に差し掛かった。果たして橋は揺れるのか。いくつもの双眼鏡が橋を注視している中、混雑がはじまった。橋は揺れない。人込みで橋が埋まった。それでも橋は揺れない。最後の一人が橋を渡りきるまで橋は揺れなかった。貴賓室が拍手に包まれた。

 藤野は、歩道橋の振動と同期歩行について論文を書き、海外の学術誌に英語で発表した(3)。しかし、先に述べたように人々の関心は長大橋に集まっていた。小さな歩道橋の振動についての論文は、顧みられることなく眠り続けた。

(次回につづく)

注釈:本稿は2019年4月に藤野先生へのインタビューをもとに、文献資料を参考として構成したものである。藤野先生の発言は編集、再構成されている。

 歩道橋の振動解析を揺り籠にして生まれた同期歩行の解明が、どのようにして、どこまで発展したのか、次回(後編)ではその後の進化を追いかけます。西暦2000年、眠っていた論文が目を覚まし、藤野の名が世界に知られるようになったロンドンの「ミレニアムブリッジ」閉鎖の解決。振動の抑制が構造制御、都市防災へと発展した様子を、先生の学問に向かう真摯な態度、研究についての深いお考えを交えて紹介します。ご期待ください。

参考文献
1. 日本学士院HP https://www.japan-acad.go.jp/japanese/activities/index.html
2. スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本 由紀 (監修), 長尾 力 (翻訳) 『SYNC: なぜ自然はシンクロしたがるのか』 (ハヤカワ文庫 NF 403 〈数理を愉しむ〉シリーズ) 早川書房(2014)
3. Fujino, Y. et al. “Synchronization of human walking observed during lateral vibration of a congested pedestrian bridge” Earthquake Engineering and Structural Dynamics. (22) 741-758 (1993)

(先端科学高等研究院 研究戦略企画マネージャー 中川正広)