本学先端科学高等研究院の藤野陽三先生が2019年、日本学士院賞を受賞されました。これを記念して、先生の研究がどのようにして生まれたのか、どのようにして普及したのか、(前編)「出発点:小さな歩道橋の不思議な振動の解析」と(後編)「そして現在へ:社会インフラ・都市防災の新しい展開」の二回に分け、一連の研究についてご紹介します。

(後編)そして現在へ:社会インフラ・都市防災の新しい展開

 さて、前回述べたように戸田公園大橋の振動抑制と同期歩行の解明についての論文(3)は、顧みられることなく静かに眠っていた。この論文は、このまま眠り続けるものと思われていたのだが・・・。

 西暦2000年のある日、同期歩行の論文(3)が突然目を覚ました。発端はこれも藤野が受けた電話だった。「歩道橋が混雑すると左右に振動する」という相談は戸田公園大橋を思い出させた。しかし、戸田公園の時と違って電話はロンドンからだった。受話器の声は「プロフェッサー・フジノの論文を読んで電話をした」と言った。

 その年、ミレニアムを祝ってテムズ川に新しい橋が架けられた。その名も「ミレニアムブリッジ」、千年紀の始まりを祝う新名所となるはずだった。ところが、開通式のあと、人が渡り始めると橋が振動した。想定外の横揺れである。振幅は最大十センチにもなり、開通からわずか二日で橋は閉鎖された。このニュースは映像とともに世界を駆け巡った。

 「私たちは振動を押さえ込んで橋を再開させたい。先行の研究を調査したが、調べた限り、論文を書いているのはプロフェッサー・フジノ、あなたしかいない。調査に参加して助言をいただけないだろうか」

 ビデオを見ただけで同期歩行だとわかった。藤野はアドバイザーとして呼ばれ、エンジニアと議論した。ダンパーの取り付けなどを助言し、一年半後の2002年12月に橋は再び開通した(4)(5)。

 これを機に藤野の名は世界に知れ渡った。橋梁工学の教科書にも載り(図4) 、橋上の歩行者の同期振動は一般向けの科学書にも記載された(図5)。

教科書『BRIDGES』(4)表紙および同期歩行と藤野の記述(P6)、図5. 一般向け科学書『SYNC』(2)

 集英社新書の『非線形科学:同期する世界』(6)は人の集団が引き起こす振動をわかりやすく解説している。この本には、戸田公園大橋とミレニアム・ブリッジについても、藤野の果たした役割とともに解説されている(図6)。

図6.集英社新書『非線形科学:同期する世界』

 当時を振り返って藤野はしみじみと述懐する。

 「あのとき戸田公園へ行っていなければ、もし、英語で論文を書いていなければ、どうなっていただろうな。あのときは『なんで、歩道橋みたいなものをやるんだ。長大橋をやればいいのに』と呆れたようにいう人もいた。自分でも面白いな、とは思ったが大きな仕事だとは思わなかった。不思議なものだ。小さなことでも論文はちゃんと書いておくことだよ」

 さて、現在、藤野は横国大の先端科学高等研究院 (IAS)で「社会インフラストラクチャの安全」研究ユニットの主任研究者として都市防災の研究を指導している。「橋が壊れなくても道路が通れなくなれば、交通は止まる。交通標識の落下や自動車の横転など橋以外のものにも目を向ける必要がある」

 このような考えに基づいて、横国大では首都高速道路株式会社(首都高)とは「首都直下型地震などの巨大地震における被害想定・対策等に関する研究」、東日本高速道路株式会社(NEXCO東日本)とは「高速道路の施設とオペレーションのリスクマネジメント」の産学連携研究を指導している。

 その中で、IASの教員が主体となっているものを挙げれば首都高との共同研究である三宅淳巳(副高等研究院長、「エネルギーシステムの安全」研究ユニット主任研究者)の「危険物積載車両の高速道路輸送のリスクアセスメント」と、野口和彦(IASリスク共生社会創造センター センター長)のNEXCO東日本との共同研究「地震などの災害発生後に対する事前事後リスクマネジメント」がある。IAS以外で例を挙げると、居城琢(大学院国際社会科学研究院准教授)は首都高と「地震後の首都高速通行遮断に対する産業界への影響検討」を、菊本統(大学院都市イノベーション研究院准教授)は地震で地盤が液状化する範囲を予測した。この他にもIAS・横国大の多くの教員が共同研究に参加している(7)。

 藤野がIASを拠点に様々な共同研究を行っている理由については、藤野自身の言葉を借りて説明しよう。

 「自分は、一人でコツコツ仕事をするよりは大勢の人を取りまとめて仕事をしてもらうほうが向いている」

 「IASの役割は横国大をもっと活性化すること。橫国大の様々な研究者を組み合わせて挑めばもっと力を出せる。潜在力はあるので努力すればできる」

 さて、日本学士院賞の業績には『同期歩行』のほか『構造制御』と『ヘルスモニタリング』が挙げられている。これらについても少し触れておこう。

 構造制御は、制御工学の知識を用いて橋などの構造物にダンパーを取り付けることや耐震・免震構造にすることで災害を防ごうという技術である。『ヘルスモニタリング』は橋などに加速度計などを取り付けておいて地震・交通の影響や経年劣化を観測する技術である。

 横浜に縁の深い例を挙げれば、横浜ベイブリッジに30以上の加速度計を取り付けて80種類をこえる地盤の揺れや応答を計測し、自身の際の橋の挙動を精密に調べ上げた(8)。これによって地震への備えが強化された。

 このように、藤野は土木工学に制御や計測など他の研究分野の知識を組み合わせて新しい分野を開拓してきた。藤野は、これを自分自身の志向だと言う。

 「研究者には、自分の専門分野を深掘りしてゆくタイプと、自分の専門分野を他の分野と結合して新しいところに広げてゆくタイプがある。自分は、後者のタイプだ」と。

 藤野がこの種の研究を手掛けたのは1990年代初めである。今はインフラ防災、都市防災へと発展した研究である。阪神・淡路と東日本の大震災、笹子トンネルの崩落事故を経て普及したのである。

 先見の明が有ったというのが相応しいと思うのだが、藤野は「やるべき研究だと思ったことをやっていたら後から注目されただけ」と謙遜する。

 それでは、「やるべき研究」とはどういう研究なのか。藤野がいう。「やるべき研究は、興味が持てる研究と世の中の役に立つ研究である。そのどちらかがあれば、その研究は行う値打ちがある」

 そのような研究ができるようになるためには、「多様な文化や考え方、他の分野の学問・研究の発想に出会うことから、新しいものを創り出すことができる。ただし、そのためには、拠るべきホームベースとして、まずは自分の専門知識を深めることが大切だ」という言葉を残された。

 最後に掲げる水彩画「横浜ベイブリッジ」(図7)は藤野が学生と一緒の風景画教室で描いたものである。絵は写真と違って思い切った誇張や省略を行うので、橋の特徴を理解するのに役立つということである。

図7.横浜ベイブリッジ(2015年, 藤野陽三)

注釈:本稿は2019年4月に藤野先生へのインタビューをもとに、文献資料を参考として構成したものである。藤野先生の発言は編集、再構成されている。なお、本記事の文献番号・図番号は(前編)からの通し番号である。

 2回にわたってお送りしました「藤野上席特別教授 日本学士院賞受賞記念 未来に架ける防災の橋」。みなさんの読後感はどのようなものだったでしょうか。ここから少し紙幅をいただいて、私の感じたことを書いておきたいと思います。

 ここまで、本文中に「イノベーション」と言う言葉は一度も出て来ていません。先生もおっしゃいませんでした。ただ、この稿を書くために資料を調査し、実際に書き始めると、これはまさにイノベーションであると、確信するに至りました。橋梁工学と制御工学という異種の工学を合体させて、構造制御・構造ヘルスモニタリングという新しいものを創り出したこと。それが、世の中に役立つものとして行政や産業に広く普及したこと。この業績を表すのに「イノベーション」ほど適切な言葉があるでしょうか。本当に大きなイノベーションは、それと意識せぬまま起こっているのかも知れませんね。

参考文献
1. 日本学士院HP https://www.japan-acad.go.jp/japanese/activities/index.html
2. スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本 由紀 (監修), 長尾 力 (翻訳) 『SYNC: なぜ自然はシンクロしたがるのか』 (ハヤカワ文庫 NF 403 〈数理を愉しむ〉シリーズ) 早川書房(2014)
3. Fujino, Y. et al. “Synchronization of human walking observed during lateral vibration of a congested pedestrian bridge” Earthquake Engineering and Structural Dynamics. (22) 741-758 (1993)
4. David Blockley “Bridges: The science and art of the world’s most inspiring structures” Oxford University Press (2010)
5. 藤野陽三 「ロンドンのミレニアム・ブリッジの振動問題と関わって」プレストレストコンクリート (49)6 43-47 (2007)
6. 蔵本由紀 『非線形科学 同期する世界』集英社新書(2014)
7. 横浜国立大学先端科学高等研究院HP「社会インフラストラクチャの安全研究ユニット」
8. 横浜国立大学先端科学高等研究院 (編集), 横浜国立大学リスク共生社会創造センター (編集) 『リスク共生学 先端科学でつくる暮らしと新たな社会』 丸善出版(2018)

(先端科学高等研究院 研究戦略企画マネージャー 中川正広)