後編のはじめに

 前編では、が横浜国大で安全工学を学習、研究を始めた三宅が留学先のオランダでリスクの考え方と出会うまでを見て来ましたね。 ここから始まる後編では、リスク研究の種が、さまざまな事故現場や新しく生まれた研究課題と出会って大きく飛躍してゆくさまを 見てゆきましょう。それでは、後編のスタートです。

4.『災害現場との出会いと研究の発展』

 留学からの帰国後、三宅は爆発の研究とリスクの概念と融合させた研究を進めた。留学先での研究をベースにして硝安をはじめとする火薬・爆薬の研究を発展させ、 国内外での学会発表、英文・和文での学術論文を立て続けに発表した。

 これらの研究活動は、火薬学会論文賞(1993、火薬学会)、安全工学論文賞(1999、安全工学会)、神奈川労務安全衛生協会功労賞 (2010、神奈川労務安全衛生協会)、 高圧ガス保安協会会長表彰(保安功績賞)(2015、高圧ガス保安協会)、横浜国立大学優秀研究者表彰(2016、横浜国立大学)、日本工学会フェロー表彰(2019、日本工学会) など多くの学会関連賞を受賞したほか、火薬学会(会長)、安全工学会(会長)、日本法科学技術学会(理事)を歴任するなど、著作・著者ともに高い評価を得ている。

 ところで、エネルギーシステムの安全研究ユニットでは国内外の様々な機関と研究、社会実装の両面で共同研究・連携を進めている。海外では、国連工業開発機関(UNIDO)、 デルフト工大リスクセンター、Texas A&M大学プロセス安全センター、カールスルーエ工科大学、ダナン大学、国内は高圧ガス保安協会、消防庁消防大学校消防研究センター、 労働安全衛生総合研究所、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、産業技術総合研究所(産総研)などである[5]。

 さらに、学会出張などの際には、過去の爆発・災害の現場や記念館を精力的に訪問した。たとえば、1628年に過大な仕様のせいで安定性を失って沈没した軍艦ヴァーサ号を 引き上げて展示してあるヴァーサ号博物館(スウェーデン・ストックホルム、2001年訪問)、2001年に肥料工場が爆発したトゥールーズ硝安爆発事故現場(フランス・トゥールーズ、2003年訪問)、 1984年に農薬製造プラントから有毒ガスが漏洩したボパール事故現場(インド・ボパール2004年訪問)、1917年に軍用の火薬・爆薬を満載した貨物船同士が衝突・爆発して悲惨な事故の展示がある 大西洋海洋博物館(カナダ・ハリファックス、2006年訪問)、1970年に造船所で破裂事故を起こしたタービンローターの展示がある長崎造船所史料館(長崎、2011年訪問)などである。発生した事故の 説明は割愛するが、軍事と産業の重要なインフラ・設備の大事故で、重大な人的被害をもたらしたものばかりである。これらの災害現場を立て続けに見て、三宅は何を考えたのであろうか。産業事故の悲惨さか、 それとも産業安全研究の目指すところだろうか。

 さて、三宅の事故・災害への関りは過去の見学に留まらない。事故直後に設置される事故調査委員会などにも積極的に関わってきた。たとえば、2012年だけ見ても、前年2011年11月に発生した山口県の化学工場、 1月の静岡県の農薬工場爆発事故、4月の山口県の前年とは異なる化学工場の爆発事故、6月に発生したこれも山口県の石油精製施設の爆発事故の調査活動に関わるなどの事故調査に関わってきた。

 過去の現場と直後の現場。これらは三宅に何を語ったのか。事故・災害の影響は機械の破損にとどまらず、従業員と周辺住民の生命・健康への危害、家屋や施設の損害、それに加えて経済活動の停滞など、いろいろなところに拡がってゆく。三宅は『安全』と『リスク』の概念を化学にとどまらず、周辺コミュニティや社会・経済にまで広げてゆくことになる。

 そして、三宅は、学内でも『安全』『リスク』に関する役職を歴任することになった(表1)。

年月役職
2006年4月大学院環境情報研究院 人工環境と情報部門 教授(2016年6月まで)
2011年4月排水浄化センター長(2013年03月まで)
2014年4月安心・安全の科学研究教育センター センター長(併任,2015年9月まで)
2015年10月リスク共生社会創造センター 教授(併任,継続中)
2016年7月先端科学高等研究院 副高等研究院長 教授(併任,継続中(副高等研究院長は2021年3月まで))
表1 三宅の安全・リスクに関する横浜国立大学での役職歴

 ところで、今、リスクと災害を語るのに『東日本大震災』を外すわけにはいかないだろう。 被害と復興の様子については、被災者・経験者はいうまでもなく、繰り返される報道で、 誰もが聞き知っているだろう。10年たった今も復興は道半ばである。

 2021年5月、N H Kで震災後の気仙沼を舞台とした朝ドラ『おかえりモネ』が始まった。 ヒロインの出身地、ドラマ上では『亀島』という架空の島としてロケ地になったのは気仙沼大島である [10]。 この島は、画面越しに見るように、自然に包まれた風光明媚な土地なのだが、震災の時には渡船が流されて孤立を 余儀なくされた。その対岸、気仙沼の市街地は、津波に流され壊れて漂う重油タンクや自動車のガソリンなどが炎上し、 瓦礫の塊となった街を焼き尽くした[11][12]。三宅は、震災の後、たびたび気仙沼を訪れ、被害と復旧・復興を見つめた。 また、放射性汚染土壌の道路輸送リスクを評価するために何度も福島県浜通りの市町村を訪問した。この経験で、 三宅は『本質安全(危険なもの取り除く)』を再認識し、人類とリスクの共生について考えを深くしていった (三宅は、現在、福島県浪江町で水素エネルギーの利用について実証事業を行なっているが、これについては次章で後述する)。 リスクについての考察は、現在の『先端科学高等研究院(IAS)』での『リスク共生学』に繋がってゆく。リスク共生学については、 IASとリスク共生社会創造センターの編著になる『リスク共生学』[13]をご一読いただければ幸いである。

5.『リスク共生、そして先端科学高等研究院』

 さて、ここまでは、『安全工学』に出会った高校生が、受験情報誌の縁で横浜国大という場を得、そこをホームベースにして留学や研究活動を経験し、『リスク共生』へと考えを深めて来た軌跡を振り返った。こらからは、いよいよ三度目の転機、先端科学高等研究院での活動を紹介する。

 2016年、先に述べたとおり、三宅は先端科学高等研究院(IAS)の教授に就任し、そのときから継続して副高等研究院長をつとめた。IASは『リスク共生学』を提唱し、2014年から第一期、20018年から第二期が始まった。第一期にはエネルギー、材料、医療工学、グローバル経済、都市、途上国開発など工学にとどまらない様々な研究分野を包摂して研究を進めた。第二期は、サイバー・ハードウェアセキュリティ、インフラストラクチャリスク、社会価値イノベーションにターゲットを絞って研究活動を行なっている。

 三宅は、第一期には『コンビナート・エネルギー安全研究ユニット』の主任研究者として石油化学コンビナートやエネルギー関連施設の安全性高度化のための、技術システムのリスク管理研究を行い、第二期には、『エネルギーシステムの安全研究ユニット』の主任研究者として4つの研究課題「石油コンビナートの防災・減災」「水素システムの安全性評価」「極限環境加速限界試験(HALT)」「凝縮相エネルギー物質の燃焼・爆発学理の構築と応用研究」を推進した。

 三宅の率いる研究ユニットでは、2019年度から、地域防災減災戦略を構築する研究として環境省の環境研究総合推進費「災害・事故に起因する化学物質の流出のシナリオ構築と防災減災戦略」に取り組んでいるが[14]、これは行政、自治体、企業等といっしょになって、都市災害の社会総合リスクを評価し、防災・減災戦略を作っていこうというプロジェクトだ。

 次に、先ほど前章で括弧書きにして予告した浪江町の実証事業について紹介しよう。浪江町は、福島第一原発に近く、現在もなお、面積の8割を帰還困難区域が占めている。震災当時の人口21,500人が、いまは住民登録を数えても16,500人、このうち町内に居住しているものはわずか16,00人だという。凄まじい減少である[15]。

 この状況を打開して復興を遂げようと、浪江町は真にクリーンな再生エネルギーに着目した。そして、「FH2R」という再エネを利用した大規模な水素製造施設を誘致するなど水素の利用を積極的に進めようとしている [16]。浪江町は、2020年3月に「ゼロカーボンシティ」を宣言、同年11月に「水素タウン構想」を発表した [17]。この取り組みの中で、三宅は、電線を流れる電力と同じように、空中に架けたパイプラインで水素を輸送する「柱上パイプライン」の実証実験を企業や行政と共同で行なっている[18]。本当にクリーンなエネルギーを安全に安心して利用する先頭走者として、浪江町ほど相応しい自治体が他にあるだろうか。

 ところで、水素を電力として利用するためには何が課題となるだろうか。製造・輸送と貯蔵だろうか。製造・輸送については浪江町のプロジェクトが成功すれば、よい見本になるだろう。水素を貯蔵するときのリスク評価は水素ステーションで紹介した。ただ、水素には電力に変換して貯蔵する方法もある。蓄電池である。蓄電池は、水素だけではなく太陽光や風力など、出力が自然任せの発電にも重要な技術である。

 2021年4月22日にオンラインで開催された気候変動サミットの直前、日本は「2030年に、温暖化ガスを2013年比46%減少させる」という目標を公表した[19]。これを受けて6月2日には「グリーン成長戦略」見直し案を公表し、「30年までにFCVの燃料を補給する水素ステーションを現在の6倍にあたる1000基程度整備する。EV向けには充電施設を現状の5 倍の15万基に増やす」などの目標を掲げた[20]。EV (電気自動車)とFCV (燃料電池自動車)の普及は国際公約になった。

 これを予見したかのようなタイミングで、三宅の研究ユニットは2020年度に科学技術振興機構低炭素カーボンセンターと共同研究で「大規模エネルギー貯蔵システムの安全性評価に関する技術的課題と社会実装への展望」で、大規模エネルギー貯蔵システムの安全性評価の動向調査の結果を評価するフレームワークを提案した[21]。さらに2021年度からは環境研究総合推進費の「リチウムイオン電池等の循環・廃棄過程における火災事故実態の解明と適正管理対策提案」に採択された。

 ところで、唐代の詩人、王之渙の五言絶句『登鸛鵲楼(かんじゃくろうに登る)』には、「欲窮千里目、更上一層樓。(千里の目を窮めんと欲し、さらに上る一層の楼)」の二句がある。勝手に超訳すれば、「遥か遠くを見通そうと思って、もう一階上に登る」になろうか。

 2021年4月、三宅はIASの副高等研究院長から横浜国大の理事・副学長に就任した。更に一層の楼を上った三宅は、何を見通して研究の舵を取るのだろうか。

 三宅の仕事は、これからも続いてゆくのである。

終わりに. 『未来の歴史とリスク共生学』

 前・後編にわたっての「安全工学からリスク共生学」、読み終わった感想はどのようなものでしたか。

 歴史の中で、世界中の研究者が事故予防や防災についての研究を積み重ねて来ました。それでも、痛ましい事故は発生し、災害は人類を苦しめ続けています。線状降水帯による水害や、新しいウィルスによるパンデミックなど、新しい形のリスクも生まれています。度々繰り返すバブル経済とその崩壊も現代特有のリスクの一つでしょう。

 リスクは常に変化し、人類は苦しみながらも適応する方法を見つけて来ました。三宅の研究もその一つです。これから先、リスクはどのように変化してゆくのでしょうか。それは分かりません。しかし、たとえそれがどのような変化であっても、人類が新しいリスクに適応して生きてゆかなければならないことは確かです。先端科学高等研究院は、未来の歴史に向けて、更に発展を続けて行きます。

参考文献 (前編・後編)

[1]三宅淳巳『終了報告書 SIP(戦略的イノベーション創造プログラム)課題名「エネルギーキャリア」研究開発テーマ名「エネルギーキャリアの安全性評価研究」H26年度~H30年度』(2017) (https://www.jst.go.jp/sip/dl/k04/end/team10-0.pdf)
[2]三宅淳巳『化学物質のフィジカルリスク解析における現状と課題〜化学プラントの安全を目指して〜』REAJ誌26(8) 939-937 (2004) ( https://www.jstage.jst.go.jp/article/reajshinrai/26/8/26_KJ00003386154/_article/-char/ja/)
[3]三宅淳巳(研究代表者)基盤研究(B)課題番号18310112『エネルギー物質の非理想爆ごうモデルの確立と爆発リスク解析システムへの展開』科学研究費補助金研究成果報告書 (2009) (https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-18310112/18310112seika.pdf)
[4] 日本経済新聞電子版2020/08/16, 2:00 『ベイルートの爆発、広島原爆の10分の1 硝酸系原因か (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62648460U0A810C2000000/)
[5] 横浜国立大学 先端科学高等研究院 エネルギーシステムの安全研究ユニットポスター 『UNIT6 エネルギーシステムの安全』 (https://ias.ynu.ac.jp/research/infrastructure/miyake.html)
[6] 『水素で実現する クリーンエネルギー社会』 横浜国立大学広報誌YNU (201), pp10-11, (2016)
[7] 横浜国立大学 先端科学高等研究院/ リスク共生社会創造センター 『水素ステーションの社会総合リスクアセスメントガイドライン Version 3.2』 (2019) (https://www.jst.go.jp/sip/dl/k04/end/team10-1.pdf)
[8] 『’76 大学の素顔 横浜国大』 蛍雪時代1976(昭和51)9月号 pp. 195-196.
[9] 三宅淳巳 『硝安の爆発性に関する研究』 横浜国立大学(博士論文)(1993)
[10] NHK 『おかえりモネ』ホームページ 『インタビュー』(2021/06/24)https://www.nhk.or.jp/okaerimone/special/interview/06.html
[11] 平成23年版 消防白書 2 火災(2) 主な火災についてウ 宮城県気仙沼市における市街地火災(https://www.fdma.go.jp/publication/hakusho/h23/cat-2/2/509.html)
[12] 神奈川新聞(カナロコ)2011/5/1『東日本大震災、気仙沼市を襲う津波 火災』 (https://www.youtube.com/watch?v=4OnlzcRu8pE)
[13] 横浜国立大学 先端科学高等研究院/ リスク共生社会創造センター編 『リスク共生学 先端科学技術で作る暮らしと新たな社会』丸善出版 (2018)
[14] 令和2年度_環境研究総合推進費実施課題(1-1904) 『災害・事故に起因する化学物質流出のシナリオ構築と防災減災戦略』 (https://www.erca.go.jp/suishinhi/seika/pdf/seika_2_02/1-1904.pdf)
[15] 浪江町ホームページ【初めての方へ】すぐわかる浪江町(なみえまち)の現況(https://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/namie-factsheet.html) (2021/6/7検索)
[16] 国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構 ニュースリリース『再エネを利用した世界最大級の水素製造施設「FH2R」が完成』(2020) (https://www.nedo.go.jp/news/press/AA5_101293.html)
[17] 日本経済新聞電子版2121/5/15, 2:00 『水素の地産地消で震災復興描く 福島県浪江町』(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC101W40Q1A510C2000000/)
[18] 浪江町ホームページ『令和2年度水素柱上パイプライン実証概要』 (https://www.town.namie.fukushima.jp/uploaded/attachment/13611.pdf)(2021/06/10,11:45検索)
[19]日本経済新聞電子版2021/4/23 2:00『日本、温暖化ガス13年度比46%減 2030年目標』(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO71287300T20C21A4MM8000/)
[20] 日本経済新聞電子版2021/6/2, 21:39『グリーン成長戦略見直し案 小型商用車の電動化など』(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA023NA0S1A600C2000000/)
[21] 国立研究開発法人科学技術振興機構低炭素社会戦略センター『低炭素社会の実現に向けた技術および経済・社会の定量的シナリオに基づくイノベーション政策立案のための提案書 大規模エネルギー貯蔵システムの安全性評価に関する技術的課題と社会実装への展望』(2021) (https://www.jst.go.jp/lcs/pdf/fy2020-pp-07.pdf)

特定の記述ではなく、全体構成の参考にした文献
・YNU Maestro: “Living Together with Well-Managed Risk” 横国刻々(3), pp. 22-23 (2019)
・山門会会報(各号)

 (先端科学高等研究院 研究戦略企画マネージャー 中川正広)